Zf Z24-120mmf4
美女の手
西洋絵画における美女の描き方には、時代とともにいくつかのパターンがあるようで、8頭身のように頭を小さく描くのはかなり早い時期からのようだが、時代によっては美人の基準がぶよぶよに脂肪太りした体型だったり、背中から腰にかけてやたらと長く描いたり、モディリアーニの長い首など、平均的日本人だと自認している私には、なんとも理解できない表現を多く見かける。それぞれ理由があるようなのだが、こまめにメモをとっていないので、全部忘れてしまった。そこで今日は世界的美女として名高いレオナルド・ダ・ヴィンチの女性像と日本の画と比べてみようと思う。
モナリザの微笑み
白貂を抱く貴婦人
白貂を抱く貴婦人の手はモナリザよりゴツゴツした手のように私には見える。
それに対して喜多川歌麿はどうだろうか
物思恋
煙草の煙を吐く女
さてどうだろう。喜多川歌麿の方はあきらかに意識的に手を小さく画いている。たぶんそれが当時の美人の基準だったからではないだろうか。浮世絵とはそういうものだから、みんな同じような顔や姿をしている。それにたいしてレオナルド・ダ・ヴィンチのほうはどうだろう。死体の解剖に立ち会うほど、人間の骨格や筋肉に拘ったダヴィンチではあるが、リアルに目の前のモデルの姿を画いたのだろうか。女性の手はこう書くべきだという信念を持って画かれたのではないだろうか。なんて想像していると時間があっという間にすぎてしまう。暇つぶしに丁度よい。
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