kiyomizuzaka48の日記

一日一日を楽しく暮らしている老人の暇つぶしです。使用しているカメラはZ50とZ6とCOOLPIXーW300です。適当に撮って楽しんでいます。

関西フォークがやって来た!

なぎら健壱 関西フォークがやって来た! 五つの赤い風船の時代

著 者:なぎら健壱

発行所:筑摩書店

 

なぎら健壱五つの赤い風船について語ると共に、当時の時代を語っている本。

私は十代の頃は歌についてほとんど知らなかった。知っているのは春日八郎「お富さん」とか三橋美智也「哀愁列車」ぐらいで、おまけに我が家の家族は両親を始めとして全員がひどいオンチだった。私は音楽の時間は教師がオルガンを弾いて音を出し、その音を当てるテストでは半音のずれも正確に当てていたので、自分がひどい音痴だとはまったく思っていなかって、大学の飲み会で人前で歌って周囲の人から指摘され初めて並外れた音痴だと気づいたぐらいだった。そんな私が音楽に興味を持ったのが、高石友也の「受験生ブルース」であり、フォークルの「帰ってきたヨッパライ」だった。ビートルズは私にとっては単なるニュースだった。やがてフォークルの「イムジン河」で社会問題にも興味を持つようになった。いわゆるフォークソングの生演奏を初めて聴いたのは1969年大阪城公園での催し物で高石友也とフォークとはプロテストソングだと主張する人たちとの熱い論争の場であった。その後五つの赤い風船の生演奏を聴いて、世の中にこんな素晴らしいものがあったのかと感動した。西岡たかしのヴィブラフォンと藤原秀子のボーカルはそれまで聴いたことのないものだった。この過去の想いを懐かしくなり再確認したくてこの本を買って読んだ。

この本の中では当時の若者達に大きな影響を与えた人たちの言葉が引用されているので、ここで少し更に引用してみよう。

高石友也

『フォークは未来をひらく』の中で《反戦歌をつくる目的でつくられた反戦歌ほど、いやらしいものはない。(中略)ベトナムなり、戦争なり、事件なりを上から見おろしたやつである。もっといやらしいのは、反戦の何かも知らずに反戦歌をオーバー気味に歌う歌手たちだろう。平和を祈りながら、とか、私は歌で反戦に参加します。ベトナムのためにわたしは歌います。そんな言葉を並べられると、絶望的な気分になる 》

吉田拓郎

《『ヤング・キター(七十年九月号)』僕は自分の作った曲が歌謡曲と呼ばれようと、いっさいかまわない。要するに歌である。それでいいのではなかろうか》

さらに私にとって意外だったのは

松山千春

関西フォークの生活観や社会性に影響されて、歌を始めた。いざ、歌おうと思ったら社会情勢がすっかり違っていた。そこで、愛とか恋とか精神的なプロテストの唄を歌った。プロテストという気持ちを忘れずにフォークを歌ってきた》(『週刊FM(八十三年二月二十八日号)』)

みんないろいろあったんだよね。全ての過去は懐かしい。