京セラ美術館
この作品については会場での説明でも、売り切れていた図録の代わりに買った「BRUTUS」でも「1976年にイタリアに行った時、街中で目にした落書きから着想を得た。旧ソ連のシンボルだが、ウォーホルの目にはポップなモチーフに映ったようだ」と書いてあるが、両親がソ連圏のチェコスロバキアからアメリカに渡った敬虔なキリスト教徒であり、キューバ危機をアメリカで体験している彼としては、そんな軽い気持ちで作った作品のようには思えない。彼は自分を演じ続けた人らしいので、彼と交流のあった横尾忠則が「BRUTUS」に書いた文章を引用する。
”意味のないことをひたすらやっていた人ですね。(中略)他のアーティストはオリジナル神話を信じてつくっているのに、彼の作品にはそれがない。見る側が作品に意味を込める無意味さを伝えようとしていたのかもしれない。美は知性の中にはない。この世界は無意味なんだって。”
「BRUTUS Casa 特別編集 アンディー・ウォーホルの基礎知識」より引用