最後の渡り鳥たち
2021年 トルコ
監督:イフェト・エレン・ダヌシュメン・ボズ
俳優:シェンヌル・ノガイラル、ネジメティン・チョバンオウル
この映画は日本では東京国際映画祭で上映されただけなので、題名を説明すると、トルコで生活する遊牧民族ユルックのこと。もともとトルコ人というのは北アジアの遊牧民族の突厥(トュルク)の黒毛黒い瞳の人たちの末裔だと私は思っているのだが、長い歴史の中で様々な人びとが混血したためか、日本人が考える黒い毛黒い瞳のアジア人とはまったく異なって見える。日本人学者の本(名前は忘れた)ではチュルクはモンゴル人と先祖が同じらしい。私がトルコに観光旅行に行った時、現地ガイドは「オスマントルコ帝国が広大な地域を支配した頃にいろんな地域の人が混じったので、トルコ人といっても外見からは何人かわからなくなった。」と言っていたが、国立民族学博物館名誉教授松原正毅の説明によると、トルコ人は遊牧民族としてのプライドを持っているそうだ。そうしたトルコにおいて現在も遊牧生活をするユルックは特殊な人として扱われているそうだ。近代国家において定住しない人びとは管理できない困った人になるようだ。
この映画ではそうした遊牧民と近代国家との軋轢を描きながら、これからの人類社会について考えようということらしい。土地を持たない、季節に応じて住処を変えるというライフスタイルこそが本来の人間の生活ではないのかと。ここで一気に国家について論じるのは無理なので、人間にとって快適な生活、環境について考えようということなんだろう。
この映画で気になったのは、主人公の女性の言葉、キャラクターだ。彼女は日本人がイスラム教徒の女性という言葉から想像するイメージをはるかに超えて、自分の夫に、政府の役人に悪態をつきまくる。その口の悪さやパワーは、昔の大阪の下町のおばちゃんそのものだ。これはこの映画監督がそうしたキャラにしたてあげたということでもないと思う。中央アジアのキルギス(クルグス)の映画でも、村の集会で中年女性たちが男たちに向かって「あんた達は騎馬民族の誇りを忘れたのか」と怒鳴っていたが、ひょっとして大阪のおばちゃんには騎馬民族、遊牧民族の血が色濃く残っているんだろうか。江上波夫の「騎馬民族国家」はそのように読むべきか(笑)