kiyomizuzaka48の日記

一日一日を楽しく暮らしている老人の暇つぶしです

はじまりへの旅

みんぱくワールドシネマ51回上映会

2016年 アメリ

監督:マット・ロス

俳優:ヴィゴ・モーテンセンフランク・ランジェラ

私が民博映画を観て、初めて首をひねったままの作品。

深海菊絵のレジュメによると、キーワードは「アメリ個人主義、価値対立、対抗文化、自律的個人、他者との共生」。映画評論家服部香穂理は「常識や社会に抗い、妻子によかれと独特の生活スタイルを貫いてきた孤高の父の迷いや揺らぎ」が表現されているらしいのだが、私にはそうした生活スタイルそのものが理解不明だ。学校に行かず山の中で生活し、父親が与えた本だけを読む生活は、父親の権力がやたらと大きい家族としか思えない。両親が愛し合っての結果としての生活であっても、そこには子供の独立した人格は存在しない。

細部にこだわればいろいろ不満がある。息子にナイフ一つで野生のシカを殺させるシーンなど、自然を馬鹿にしているとしか思えない。それにやたらとナイフにこだわるところ。銃社会アメリカに対する批判というより、この監督のナイフに対する異形な思いを感じた。アメリカの一部の人が実践している「生肉を食べるのが人間として自然だ」という考えに通じるのではないのか。そのわりに映画の食事風景ではごく普通の食事に見える。スパイス・調味料はどうしているのか。子供にとって大事なのは、大型獣の殺し方やナイフの使い方よりも、木の実の食べ方(熱や水による処理など)や、食べることができる植物や昆虫の見分け方だろう。衣服はどのようにして調達しているのだろう。まさかバングラデシュで劣悪な労働条件で働いている現地労働者の超安価な労働力で作られた服を買っているんじゃないのだろうか。現代文明を批判しているようで、その視点は欧米の現代文明そのものじゃないかと思える。

仏教徒の妻は遺言で「遺体は火葬にして遺灰はトイレに流す」と夫に頼んだということが繰り返し流されるが、遺灰をトイレに流すというのは、単なる東西の文明批判なのかそれとも仏教に対する知識がないということなのか。面白いイメージだから使ったということなのか。

こうした疑問は、映画鑑賞の後の質疑応答の時間に質問すればよかったのだが、突然の腹痛のため慌てて会場を後にしてトイレに駆け込んで、遺灰ならず、糞尿をトイレに流した状態で、映画の悪口をブログでごちゃごちゃ書き立てるのはどうかと思ったが、現代の様々な環境保護論という名の文化侵略に対する疑問の意味を込めて映画感想としてここに書いた。