kiyomizuzaka48の日記

一日一日を楽しく暮らしている老人の暇つぶしです。使用しているカメラはZ50とZ6とCOOLPIXーW300です。適当に撮って楽しんでいます。

村上隆

京セラ美術館で「村上隆もののけ京都」展をみたあと、売店で図録を探したが、なんと、図録は4月下旬発売予定で予約値段は4400円と、こうした展覧会での図録としてはかなり高額なので替わりの安い本を探していたら、直ぐ近くで若い女性二人が、慌てたように手放した本があったので、私も手に取って見た。なるほど、江戸時代の枕絵を村上隆が、彼流に書いた絵がでっかく載っている。スケベな私は、先にその本を見ていた女性二人組が私の方を見ていないのを確認してその本を籠にいれた。ついでに文庫本を買って、その問題の本の上に乗せてレジで支払いをした。家に帰って「ゆっくり熱闘!日本美術史」を読んだら、もう図録を買う必要がないと思った。美術関係の本2000円にしては内容が濃いと満足している。

 私にとっては芸術とはただ暇つぶしに鑑賞するものでしかないのだが、これらの本では芸術を志す人たちへのアドバイスが書かれている。芸術で喰っていくためにはクライアントや芸術作品が売り買いされるシステムを理解しろと書いている。ようするに日本でも欧米でも昔から芸術作品を買う人たちはそれなりの地位にあり、お金と芸術にたいする知識を持っている人たちだということ。芸術で喰っていくなら彼らの好みを知れということらしい。

欧米では芸術にいわゆる日本的な、曖昧な「色がきれい・・・・」的な感動は求められていません。知的な「しかけ」や「ゲーム」を楽しむというのが、芸術に対する基本的な姿勢なのです。(中略)

「アートを知っている俺は、知的だろ?」

「何十万ドルでこの作品を買った俺って、おもしろいヤツだろ?」

 西洋の美術での世界で芸術は、こうした社交界特有の自慢や競争の雰囲気と切り離せないのです。(中略)

 アメリカの富裕層には評価の高い芸術を買うことで「成功したね」と社会的に尊敬される土壌があります。そういう人たちが商売相手なのです。

 富裕層が芸術作品を買うことを奨励する制度も法律もあります。

 アメリカではビジネスに成功した人たちは社会に貢献してゆく義務感を持っています。

 そうした成功者が社会貢献事業を行う選択肢の一つには美術館支援も含まれています。

 芸術作品を購入して美術館に寄付するというわけです。

村上隆「芸術起業論」幻冬舎

蛇足ながら、これらの本には写真機、写真と美術との関係が書かれている。例えば印象派は、写真による肖像が流行して、肖像画家が食えなくなって、写真に対抗してあみだした技法らしい。写真機はかなり昔から暗箱にレンズといった簡単な構造のもので、写実的な絵を描く(真を写す)補助道具として使われていたのだが、1800年代になって、写真が発明されてからお金持のスポンサーが画家を必要としなくなって、画家達が様々な技法を編み出したおかげで、現代の私たちはモネやゴッホの絵を楽しめている。そんな雑学を手にすると、カメラのシャッターを押すのも快感になってくる。