「文明の十字路 バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰 ガンダーラから日本へ」
パンフから引用
アフガニスタンのバーミヤン遺跡は、かってユーラシア各地の文化が行き交った文明の十字路とも呼ばれる場所です。本展では、2001年に破壊されたバーミヤン大仏と遺跡の様子をご紹介し、大仏の周囲に描かれていた「太陽神」と「弥勒」の壁画を描き起こし図をご覧いただけます。さらに、中央アジアで発展した弥勒信仰が、東アジアへ伝わって多様な展開を遂げる流れを、さまざまな仏教美術からご紹介します。
パンフの弥勒像はガンダーラで製作されたもの。アレクサンダー東進によるギリシャ文化の影響がはっきりわかる。仏像が作られるようになったのも、ギリシャ文化の影響とされる。それまでは釈迦の姿を直接的な表現で絵や像にすることは畏れ多いとして禁じられていた。
日本の多様な弥勒像。半跏思惟の弥勒像は現代日本人に最も親しいかもしれないが、中世朝鮮でも非常に人気があった。韓国の時代ドラマでも見かけることがある。元々は古代イランの太陽神ミトラだったといわれていて、東アジア(中国・朝鮮・日本)の仏教は中央アジアで古代イラン宗教(ゾロアスタ教ーは古代イランの宗教をゾロアスターが体系化した宗教といわれている)の影響を大きく受けている。弥勒の他には大日如来や盧舎那仏など。阿修羅は古代イランでは最高神だったが、古代インドに入ると悪魔の親分になり、仏教では仏教の守護神になった。