
訳 :森見登美彦
発行所:川瀬書房新社
日本人の誰もが知っている「かぐやひめ」の物語である、「竹取物語」を、パンツ番長が京都の街を闊歩するような物語や「竹林と美女」を書いている、森見登美彦が現代語訳したもの。私たちが子供の頃に読んだような物語とはストーリーは同じだが、登場人物の言葉は森見風にアレンジしてある。だからかぐや姫に求婚する男たちのあほな行動や言葉は森見の世界の男たちになっている。例えば
彼らは夜もうかうか眠らず、たとえ月のない闇夜であろうとも気にせずセッセと通ってきては、垣根をほじくって屋敷を覗こうとし、そこらを這いまわってうごうごするのだ。
この「うごうご」という表現は森見らしいと思う。こうした現代語訳をした森見は原作の「竹取物語」をどのように見ているのだろうか。
生きていることのふしぎさ。
それは、この世がこの世であることのふしぎさでもある。
その感覚を表現するために、私たちは異世界に思いを馳せる。彼岸によって、此岸の輪郭を、より鮮明にとらえようとする。(中略)
千年以上前、ひとりの人物が、十五夜の月明かりに照らされた竹林を見て、その向こう側に異世界の気配を感じた。そして、生きていることのふしぎさを、この世がこの世であることのふしぎさを、自分の手で書きあらわしてみたいと願った。その作者の願いに応えてかぐや姫は束の間、地上に降り立った。
かぐや姫とは、「生きていることのふしぎさ」そのものだと私は思う。