kiyomizuzaka48の日記

一日一日を楽しく暮らしている老人の暇つぶしです。使用しているカメラはZ50とZfとCOOLPIXーW300です。適当に撮って楽しんでいます。

芸術と青春

岡本太郎 「芸術と青春」 光文社


ユニークな言動で有名だった岡本太郎の青春物語。彼のパリでの青春時代や両親との生活などが私小説風に描かれている。
私はこのブログでは岡本太郎の描く日本の風俗やキリスト教世界・社会について、この本から引用する。どのように解釈するかは読んだ人の自由です。

では、処女という観念が、どうしてこのように大きな影響力を持って、急速に日本に植えつけられたかというと、単にキリスト教文化に対する憧ればかりではないようです。明治以来、近代ヒューマニズムに目覚めた知識層が、封建家族制度に反抗し、個人の自由を主張した結果でもあるのです。当然、因習的な取引の対象となって隷属と忍従を強いられていた女性の解放運動も起こりました。ヨーロッパ文学の影響を受けてそれまでの「いろ恋」にかわって「恋愛」という言葉が新鮮な魅力をもって登場したのもこの頃です。そして新しい女性の尊厳の象徴として、「処女性」が非常に高く価値づけられて来たのです。しかし、このような処女の観念も、大正期に入ると、ようやく大企業化されはじめたジャーナリズムの商業主義に利用されて、一般化されると同時に極めて卑俗になっていきます。

キリスト教、特に旧教の精神主義の中には頑固な肉体否定のストイシズムがあります。肉体的なものを蔑視すべきもの、罪あるものとして忌み隠すのです。だから旧教の尼さんは自分自身の肉体さえも、露わにすることを罪悪として、ほとんど入浴しないし、もし入る場合には浴衣を着たまま浴槽につかります。またかっての信仰の厚い夫婦は決して互いに肌をふれ合わず、大切な場所に小さく穴をあけた寝衣を着て、わずかにその穴から交わったということです。このように極度の抑制の結果、かえって嫉妬ぶかく肉体的なものにこだわり、処女を特別なものとし考えて崇拝するようになったと考えられます。
目次 Ⅲ 女のモラル・性のモラル  処女無用論