kiyomizuzaka48の日記

一日一日を楽しく暮らしている老人の暇つぶしです。使用しているカメラはZ50とZfとCOOLPIXーW300です。適当に撮って楽しんでいます。

わかるということ

書 名:わかるということ

著 者:養老孟司

発行所:祥伝社

 

「わかる」ということを解剖学者が説明すると

<どのように手を動かすと、どのうように姿が変わるか。赤ん坊はそれを飽きもせず繰り返します。そうすると、脳の中には関係方程式がひとりでにできてきます。>

<わざわざ習わなくても、脳は比例を知っています。遠くにいたらネコだが、近くいればトラだとは思いません。そんな脳の持ち主は、進化の過程で生じたとしても、すでにトラの餌になっています。見える大きさは距離で変わる。だから目にはモノサシがついていません。>

それじゃ机の前でパソコンや本を読んで得られる知識はどうなんだというと

<応用が利くことは「身についた」ことでしかあり得ません。>

<教養はまさに身につくもので、技法を勉強しても教養にはなりません。ただ勉強家になるだけです。(中略)知識が増えても、行動に影響がなければ、それは現実にはならないのです。>

そうした頭だけの知識が偏重されてきた結果が都市化された日本という現状ではないだろうか。

<現代の人たちは、偶然を受け入れることが難しくなっています。なぜか。都市化が進んできたからです。私の言葉で言えば「脳化」です。>

地震などの自然災害の度に企業や役所の幹部たちは「想定外」という言葉をよく使う。それは自分の責任じゃないと言っているのだろうが、基本的に細かく数値化された予定調和された組織・社会では自然の力は想定外ということだろう。

また子供をめぐるトラブル、例えば近くに幼稚園や公園ができるとうるさくて安寧な生活ができないと苦情をいう年寄りが増えたように感じるのだが、

<都会には人間の作ったものしかありません。人間の作ったものには設計図があります。子供は違います。うちの子がなんだか変だと言っても、設計図がもともとないので、どこがおかしいのか、はっきりとわかるものではありません。その意味で、子供は不合理な存在です。都会には不合理な存在を相手にしたくない人が大勢います。こどもをもう産みたくない。子どもを持ってもしょうがない。それが少子化です。>

たぶん現代の若者を含めて多くの人たちが現代社会に戸惑っているんじゃないのかと思う。

<シュミレーションができない状況になると、都会の人は「どうすればいいんだ」と必ず訊きます。この質問が出ること自体、「ああすれば、こうなる」が前提になっています。>

もっと大らかに「人生思うようになんかなるもんか」「世の中はそういうもんだ」と考えて生きるのが一番ストレスが少い生き方のように思う。私はそう思うようになったから今まで生きてきたような気がしている。バカボンのパパのように「それでいいのだ」とつぶやいていれば、お迎えが来るまではそれなりに暮らしていけそうな気がしている。

<>内の記述は全てこの著作「ものがわかるということ」から引用したものです。