kiyomizuzaka48の日記

一日一日を楽しく暮らしている老人の暇つぶしです。使用しているカメラはZ50とZfとCOOLPIXーW300です。適当に撮って楽しんでいます。

六月のぶりぶりぎっちょう

「六月のぶりぶりぎっちょう」

著 者:万城目学

発行所:文藝春秋

 

万城目学の前作「八月の御所グラウンド」では沢村栄治が現代に登場する話であったが、今回は本能寺の変のあった六月に当時の人たちが集まって謎解きをするという物語。万城目物語の特長の一つにその題名があるが、今回も振々毬杖(ぶりぶりぎっちょう)という現代人には理解出来ないような奇妙な名前のものが出てくる。これは実際に平安時代から江戸時代に子供のオモチャとしてあったものらしいのだが、現代人が聞いたら創作した名前のように思えてしまう物を登場させることによって、物語の虚実が曖昧になり、読者を謎の世界に引き込んでいる。まるで荒唐無稽な物語を、いかにもありそうに展開するのが万城目ワールド。また京都という地がそうした物語の虚実を曖昧にする魔力がある。表題作と共に掲載されている「三月の局騒ぎ」にしても、現代に清少納言が登場する物語なのに、京都という地理を考えればそのような女性が登場するのもありそうに思えてしまう。大阪出身だけれど京都の大学に通っていた人間だから書ける物語なのかもしれない。

 この物語では『時間を遡ることはできなくても、この世に再現することはできる』と信長が語っているが、すでに物理学としてのタイムマシンやタイムトラベルといった概念がほとんどの現代人にとって無効になりつつある現代社会でも、霊という概念を使えば歴史の追体験が出来そうな期待を持ってしまう物語だと思った。

 

この物語を読んだ後、突然、森山大道『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい』という言葉を思い出した。