
ほんまに「おいしい」って何やろ?
著 者:村田吉弘
発行所:集英社
グルメ映画の次はグルメ本。食べ物については私がごちゃごちゃ言うより、和食をユネスコ無形文化遺産登録へ尽力した料理人に、現在の料理、料理屋について語ってもらおう。このブログの文中の引用文は全て『ほんまに「おいしい」って何やろ?』からの引用です。先ず、帯文でいきなりグルメブームについての問題提起がある。
テレビでも雑誌でも、「うまい」「おいしい」の言葉があふれ、お金を出せば美味が味わえると勘違いする人も多い昨今、「おいしい」という感覚自体がわからなくなっているのでは?
以下本文から引用してみよう
いま危惧していることの一つが東京の鮨屋の一人五万円とか七万円とかいわれている事情。(中略)食べに行く方も、値段が高いのが上等やと思っているのかもしれませんね。昔は文化人は金持ちやったんです。でもいまは文化人は金持ちやない。
一方で文化などとはあまり縁のない、お金だけは持っているという人、そしてそのお仲間が、お金を出せば「おいしいもの」がたべられると思ってあちこちへ出かける。そこに「食文化を楽しむ」というニュアンスがあるのかどうか。「料理」やなくて「価格」を食べているんやないか、それが問題や、というわけです。(中略)そうなると、高い方が上等だという価値観ですから、「値段が高くて、狭い店」、八席とか一〇席でやるのですぐに満席になる。この先三か月も半年も予約が取れない、というような店が流行る。(中略)これでは普通の客はいつまでたっても入れない。そういう商売でいいのか、料理屋は「公共」のものという考え方はあかんのか、ということです。
「予約が取れない」ことを自慢する向きもあります。でも、予約が取れない店=いい店、ではない。(中略)たとえば、予約のキャンセルがあったとしましよう。すると、そのあとにお客さんがあっても受けない。現実に、キャンセルの分、空いているんですよ。なのに、なぜか、受けない。そういう商売の仕方はどうなのか。それでいいのか。
このところの東京は、「居酒屋みたいな料理屋」が多過ぎないか。そんな感じがして仕方ありません。
焼いた焼き肉の上に生ウニをのせて、その上にキャビアをのせる。そういう料理を見て「うわー、すごーい」と喜ぶ客がいる。それがいくら高くても「うまい!」とか「おいしい!」という客がいる。(中略)それから、料理以外の「講釈」が多過ぎる。一皿の料理を出すやいなや、「このお皿は魯山人です」「このお皿一枚でマンション一戸買えます」とかなんとか。なんと下品な物言いやと思います。
最後に重要なことをまとめて書くと、コロナ禍でも京都の料理屋・料亭が一軒もつぶれなかったということ。これは『京都の料亭・料理屋が京都の町衆と共にある』からだということ。だからコロナ禍が去り外国人観光客も戻ってきている現在も、依然と変わらず外国人客は四割しか受け入れていないそうだ。
ヨーロッパの三ツ星レストランのほとんどが昆布を使っている現在、昆布味・うまみの本家の日本人である私は、SNSなどの煽り記事に乗せられて、高くてまずくて、接客の悪い店で食事をするような失敗をしないように気を付けようと思う。