「年寄りは本気だ」
発行所:新潮社
本来ならば本の表紙をコピーして掲載するのだが、Z50ⅡのRAW画像がPhotoshop elementでも、NXstudioでも画像調整(jpgファイルにすることさへ)できなくて、四苦八苦していたら、なんとPhotoshopでコピー機も操作できなくなったので、画像なしで読書感想文を掲載することにした。まあ、そのうちなんとかなるだろう。
この本を買った時には、常識からはみ出たことを言う二人だけに、かなりエキサイティングな内容かなと思ったが、案外大人しかった。それでもいくつか気になった部分があったので抜粋してみよう。
池田 言葉は同一性(アイデンティティ)を生むから。動物なら、せいぜい家族や群れが同一性の単位だけど、人間は国という大きな単位をつくってそれを守ろうとする。言葉がなければ国家という概念も生まれないから、それを守ろうなんて思わない。(中略)そもそも国というのは幻想だから。
養老 そう、国家は人間の幻想なんだ。人間が頭の中でつくった約束事といっていい。
私が学生時代には「国家論」という形で多くの書籍が売られていたが、この国家を幻想というのは、吉本隆明「共同幻想論」に影響されているのかもしれない。吉本以前には国家論は機能の面から語られていたような記憶がある。「国家とは支配階級が被支配階級を抑圧するための暴力装置である」というようなことをレーニンは「国家と革命」で書いていたと思うが、それに対して吉本は「国家とは共同幻想だ」として、当時の学生に大きな影響を与えた。池田清彦は当時は都立大の院生だったのかな。たぶん、彼は共同幻想論を読んでいると思う。私は原始共産制社会はなかったと主張して、左翼からはじき出された人間だから、当時は夢中で読んだので、今、そういう言葉をみて懐かしく思うので、ここで引用してみた。共同幻想論の内容?完全に忘れた(苦笑)
さて、ここからが誰が読んでも面白い部分を引用する
池田 数学は難解な理屈の世界だから、専門家が理解してくれなければ認めてもらえない。その点。将棋やスポーツは勝ち負けがはっきりしている。そういうゲームでAIが発揮する予測能力はすごいけれど、考えてみれば、それは「ルールが決まっていること」「条件が止まっていること」を予測する力なんだよね。「止まっていること」は未来じゃなくて現在なんだ。未来とはまだ決定していない部分をいうわけだから。(中略)AIに非決定の未来予測をさせると、だいたいはずれるよ。(中略)そういう予測の最たるものが、気候シュミレーションでしょう。(中略)しかもAIは因果関係をきちんと突き詰めず、相関関係だけで答えを出すから、おかしなことが起きるんだ。
養老 そういう選別のやり方は、格差社会を進行させる可能性があるよね。
池田 AIのもう一つの問題はディープラーニングそのものにある。AIが勝手にデーターを学習して自分で考えるようになると、そこから出てきた結果がどういう理論でどう導き出されてきた、人間にはわからない。(中略)つまり、AIそのものがブラックボックスになっちゃうんだ。
さて、最後に私にとってこの本を読んだ最大の収穫を引用する
池田 ダーウィン以来、生物の形質や行動には何かしら適応的な意味があるという考え方がずっと主流だったから。(中略)僕は昔から、「あらゆることに適応的な意味があると考えるのはおかしい。」と適応的な形質や行動があることは否定しないけれど、全ての生物がその場の環境に適応して進化したわけじゃない。適応しているように見える場合も、形や行動が変わったから、自分に一番適した環境へ進出していったケースが多いと思う。
私が学校で習ったのは「適者生存」「弱肉強食」といった概念をベースにした進化論だった。でもそういう考え方は様々な差別を生むということに気が付いた、とともに、自然をしっかり観察すると、まったくそういうふうにはなっていないことに気が付いた。簡単なのは虫の擬態だ。あのような完全な擬態は、ダーウィンのいうような小さな変化から大きな変化という説明では無理なんだよね。そして小さな変化では生存競争に有利には働かないということに気づいた。それでも虫は完全なる擬態を手に入れた。そのことでダーウィンの「種の起源」にもっとも批判をしたのは、徹底的なフィールドワークの人であるファーブルだった。でもヨーロッパの人には世界中を侵略するための良い口実になったからダーウィニズムとして広がったと私は思っている。それはDNAという概念を取り入れたネオダーウィニズムになっても同じで、基本的な考え方は適者生存だと思う。しかし、ジャングルの王者のライオンの狩りの成功率は30%ぐらいなのはどういうことなのか。この世に不必要な生物はいない。みんな繋がって生きているという考えがないから、障碍者施設で大量殺人をするような愚か者がでてくるのじゃないのかな。この世に不必要な人間などいないということを、多くの人が共通の認識としてもっていたら、もう少し住みよい世界になると思っている。