




現代のイスラム圏では、アラビア書道で書かれた文字絵をステッカーにして張り付けたり、建物にペイントするなど、護符として使用されているそうだ。「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」のような香港映画でよく見かけるように中国では仏教の経文・文字がそのように使われていた(現在も?)。日本では耳なし芳一のように経文の文字に魔除けの力があるという信仰があった。キリスト教世界ではどうなんだろうか。兵庫県立美術館での魔女裁判展のパンフレットでは、感染症に対して、民間レベルでは、魔女のナイフを部屋に飾ったり、キリスト教の聖人の絵を描いた紙を、水に浸して飲み込んだりという記述を見たが、聖書の一節を書いたものを魔除けに使うという記述は見ていない。映画「エクソシスト」では悪魔に対して聖水を振り掛けたり、十字架を見せつけたりしていたが、言葉(音声)による呪術はあっても文字による悪魔祓いを見なかったと記憶している。キリスト教の文字に対する感覚はイスラム圏とは異なっているのかもしれない。もし何かのイベントで東南アジアや南アジアの人と話ができることがあれば、部派仏教(上座部仏教)圏やヒンドゥー教圏ではどういう認識か一度聞いてみようと思う。文字は単なる意味を表す記号なのかどうか。私が高校の芸術の時間に選択した書道の印象では、文字はたんなる意味を形で表す記号ではなく、書く人の感情・思想を含めて表現した(できる)ものだと思うので、そこのところは西洋と東洋の根本的な違いのように思う。